世界映画史
トーマス・アルヴァ・エジソン

トーマス・アルヴァ・エジソン1847年2月11日-1931年10月18日

世紀の天才、メンロパークの魔術師の異名を取る世界の発明王、映画のみならず人類史上最も多大な功績を残した科学者である。

アメリカ、オハイオ州で生まれた彼は、幼少のころからその特異な性格を発揮してしまい、なんと小学校をクビになってしまいます。
幸いにも母親が教師であったおかげで、彼は母から勉強を教わりながら、自宅の地下にしつらえられた実験室で怪しげな実験を繰り返し、当時は周囲の人から不気味がられていたと言います。
やがて、列車で新聞売りのアルバイトを始めたエジソンは、列車の中にまで実験室を作ってしまい、あろうことか列車内で実験に失敗してボヤ騒ぎを起こしてしまい、この勤め先もクビになってしまいます。

天才とは理解されないものらしいですが、さすがにこれは少々やりすぎの感も否めません。まさに喜劇のような人生です。

その後、駅の電信係の仕事に従事しながら研究を重ね、様々な発明を世に出すこととなります。そして1868年、電気投票記録機で初めて特許を取得し、1877年にはついに蓄音機を完成させ、エジソンは一躍時の人となります。さらに彼の発明はとどまるところを知らず、電話、電車、電灯、レコードなど、1つ1つが歴史的とも言えるほどの発明をたった1人で次々発表していきます。
そして1893年、ウェウトオレンジ研究所にて、ついに世界初の動画再生装置「キネトスコープ」の開発に成功します。これは箱の中を覗き見ることによって、これも世界初の撮影装置「キネトグラフ」によって撮影された映像を見る装置であり、厳密に言うとこれは映画用の機械ではありませんでした。しかしこれを設置した「キネトスコープ・パーラー」は世界的に大ヒットし、2年のうちにアメリカ中のほとんどの地域に広まった。

1895年、リュミエール兄弟が世界最初の映画装置「シネマトグラフ・リュミエール」を作り出すこととなります。しかしこれはほぼエジソンのキネトスコープの仕組みを流用したものだったので、個人的にはリュミエール兄弟がエジソンと並んで「映画の父」と呼ばれるのには少々納得がいかない部分もあります。ちなみに、エジソン自身も後日スクリーン投影式の映画を製作しましたが、あまり話題にはならなかったようです。どうやらエンターテイメントの才能は彼にはなかったのかも知れませんね。

その後もエジソンの人生は波乱に満ちており、鉱山経営に手を出しては失敗したり、研究所を全焼させてしまったり、オカルト研究にはまったりと、その天才ぶりをあますところなく発揮しています。彼の奇人ぶりはまさに「紙一重」の言葉そのものであった。

あと、蛇足ですが電気椅子も彼の発明だったりします。

彼の主な発明は、電気投票記録機、株価表示機、電話機、蓄音機、白熱電球、発電機、電気機関車、キネトグラフ、キネトスコープ、コンクリート住宅、アルカリ蓄電池 他、全部で1300ほどの発明が彼の手によってなされており、中には仕事をサボるための実につまらないものも含まれていますが、必要な物を作り出すというところころから、偉大な発明といものは始まるのかもしれません。

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