映画というものは、観る者の心情にダイレクトに訴えかけてくるものです。それは例えば、一本の映画が時には誰かの人生を変える(ぼくのように)ことも少なくない。 恐らく、世界で最も早く映画をプロパガンダとして採用したのはナチス・ドイツ、つまりヒトラーであろうと思います。 実際の例を挙げてみましょう。 「意志の勝利」(原題:Triumph des Willens)リーフェンシュタール監督制作なのですが、この映画は実質、内容はあまり練り込まれていないナチスの宣伝映画となっています。しかし、映像として観ると、当時としてはかなり斬新な手法を取り入れており、他のプロパガンダ映画と比べても遥かにクォリティが高く、映画ファンの間でも評価が高い作品となっている。 さて、ファシズム以外でも、共産主義国家はプロパガンダ映画の宝庫となっています。 「南京1937」呉宇森監督作品、1995年公開。これはもう、支離滅裂な作品となっています。南京にいた30万人の中国人を、日本軍が皆殺しにしたというものです。ただひたすら残虐な日本兵の行動と逃げまどう中国人を描き出しただけであり、そもそも南京大虐殺自体も今はその存在さえ日本では疑問視がされています。その上、映像的には凡庸というにもおこがましく、見所と言えるものがまったくと言って良いほど存在していません。 しかしながら、このようなプロパガンダ映画を観ただけで、涙を流して謝る日本人が実際には少なからず存在しているという困った現実があります。 もちろん、今や東アジアをお騒がせしている北朝鮮も、自称:共産主義国家らしく、プロパガンダ映画の宝庫となっています。なにせ、トップの金正日がかなりの映画好きなため、中国とはまた若干事情が異なってきます。そこで、今回は個人的に面白いと思うものを紹介する。 プルガサリ 伝説の大怪獣 申相玉監督 1985年作品 実はですね、これはタイトル通り、一応は怪獣映画というわけなんですけれど、貧乏な民衆は北朝鮮を、悪逆非道な役人は日本を、怪獣は北朝鮮の兵器を現しているそうなのです。ちょっと強引ですがプロパガンダ映画ではないかと思いますが、ええ、ちょっと苦しいのはぼくも承知なのですけどね。しかし、これをただそれだけで語るに終わらせるのは惜しいのです。この映画は何と、プルガサリの中の人というのがゴジラの中の人と同じ人が演じておられるのです。すごいと思いませんか? ゴジラのスタッフを使って、こんな意味のわからないカルトというか、プロパガンダ映画とも言えるかどうかさえ微妙な作品を作れることに、ぼくとしてはいっそ敬意を表したくなる気持ち、皆さんに理解してもらえたら嬉しいのですが… やっぱり無理ですよね。 |
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