1946年、敗戦の衝撃が未ださめやらないフランスに於いて、世界最大の国際映画祭であるカンヌ映画祭が開始されることとなります。これは元々1939年に、ドイツやイタリアによるファシスト政権の介入によって、政治的な色合いが強まっていき、その先兵としてプロパガンダに傾倒していったヴェネチア国際映画祭に対抗し、フランス政府の資金的な援助を受けて開催される予定だったのですが、結局第二次世界大戦の勃発によって中止となってしまい、終戦後に改めて正式に開始されることとなったのです。 それにしても、ドイツとフランスは当時はお互い敵対国だったはずですし、しかも今まさに戦争に突入しようという時期でもあったわけですから、実に気骨のあるものだと一映画好きとしては感心すること仕切りです。 ちなみに第1回のカンヌ映画祭、グランプリ受賞作は、フランス人のルネ・クレマン監督の制作による「鉄路の斗い」(原題:Bataille du Rail.)これは、屈強なドイツ軍に対するフランスのレジスタンスとその活動を巧みに描写したもので……って、おやおや……? 先の発言は早くも撤回せざるを得ないようですね? その後の1951年、世界三大映画祭の一つ、ベルリン国際映画祭が開始されます。 西ベルリンは、ソ連占領区域の中心部に於いて、特別に設けられた3国の占領地域となっており、言うなれば共産主義国家の占領地の中にぽつんと民主主義国家の占領地が存在しているという、ややもすれば地理条件になっていました。これは、当時の西側国家の芸術的文化を東側(つまりソ連)に対し、大っぴらに見せ付けるという政治的意図があったと言われています。当然の事ながら、当時のベルリン国際映画祭では、東側の映画作品は出展されることはありませんでした。 さて、ベルリン国際映画祭の例にも見られるように、当時の西側国家における共産主義に対する風当たりは存外に強く(実際問題として、現在までに成功した共産主義国家は存在存在していません。ただし、人類史上最も人を殺した思想ではあります)赤狩り(レッドパージ)と呼ばれる強制排斥運動によって、西側に住む共産主義者達は職を追われ、時には投獄されることもありました。 さらに、家庭にテレビが普及するようになりますと、映画館の観客動員数にも如実に影響が現れ、テレビでは観ることが不可能な大掛かりな映画を是とする、大作主義が台頭しました。その結果、新しい映画制作者が育ちにくくなりました。かててくわえて赤狩りによる人材減少、さらに今述べたような大作主義による業界の後任育成の困難が、相乗効果となって、致命的な人材不足に陥ったハリウッドは、ついにその黄金時代の終焉を迎えることになってしまうのです。 一方、1960年前後、フランスではヌーヴェルヴァーグ運動と呼ばれるムーヴメントが起こります。 ただ、実を言いますと、個人的にはヌーヴェルヴァーグにはあまりイメージは良くなかったりはします。主観かも知れませんが、積み重ねられた技術や技巧と相まって、素晴らしい作品はできると思っていますので。 その後、1960年代後半に至り、アメリカン・ニューシネマが流行し始めます。これに関しては、実はベトナム戦争と密接な関係があるのです。 1972年代、パニック大作ブームの第一作「ポセイドン・アドベンチャー」(原題:The Poseidon Adventure)が公開されます。 1993年、スティーブン・スピルバーグ監督の「ジュラシックパーク」が公開されます。 1995年、世界初のフルCG(コンピュータ・グラフィックス)によるアニメ映画「トイ・ストーリー」の公開です。ディズニーとピクサーの共同制作によるものですが、技術的な面で言えば数多く、歴史的に大きな価値があるとは言えるものの、子供向け過ぎたせいなのか、内容的には少々大人には物足りないものかも知れません。 2002年、ジョージ・ルーカス監督による「スターウォーズエピソード2・クローンの逆襲」が公開されます。元々世界的なブームを起こしたスターウォーズ・シリーズのリメイクですが、大きな特徴として、これはデジタルシネマ(フィルムを使用しないデジタル画像を用いた映画)を実用化した映画の第一号であるということです。この作品の後、デジタルシネマ作品は急激に増加することとなります。今後はさらなる技術の進歩と共に、映画界が大変動して行くと考えられるでしょう。 |
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